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R3Magazine-Web コラム

「クリエイターか、アーティストか。あなたのオリジナリティはどこから?」

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 今でも頭に焼き付いて忘れられない一つの対談がある。日本の近現代の音楽の発展に寄与した有名なとある作曲家と、現在でも影響力を持っている日本の有名なとある脳科学者が2000年代に行った対談だ。その時に、小林秀雄の話が持ち出された。作曲家は、小林秀雄がエピゴーネンであるか、と脳科学者に問われた時、「そうです」と短く答えた。このことは僕にとって衝撃的な出来事であった。

 さて、これを読んでいる皆様も、日々を生きている中で「オリジナル」「オリジナリティ」、または「独創性、創意_オリジナリティを大辞林で引くとこういう言葉が出てくる_」という言葉には幾度となくお目にかかったことがあるだろう。創作の界隈で生きていなくとも、このような言葉に触れる機会はとても多いのではないかと思う。今回、僕がR3Magazine様から、寄稿の機会を与えられた際に示されたテーマが、「クリエイターか、アーティストか。あなたのオリジナリティはどこから?」というテーマだった。僕自身、ボーカロイド音楽を作る立場としてこれらの問題はとても厄介な立ち位置にある問題だったので、この機会にこのことを再考して、簡単に文章にまとめてみたいと思う。


 前提として、僕が今回考察するのは特に『音楽』におけるオリジナリティの問題のみに焦点を当てたものになる。なぜなら、僕自身が、同人活動をする上では基本的に音楽にのみフォーカスした活動を展開しているからである。あくまで、いち音楽分野の同人作家としてのみの話になってしまうことをお許し願いたい。


 では、最初に抽象的な思考を外して、オリジナリティの言語的な意味について再確認して行こう。先ほど少し述べたように、「オリジナリティ」という言葉の意味を大辞林 第三版で調べてみると「独創性、創意」と出てくる。そして、「独創性」「創意」をさらに辞書で引くと、「独創性:他人を真似ることなく、独自の考えで物事を作り出す性質・能力」「創意:これまで誰も考えつかなかった考え。新しい思いつき。」と出てくる。どうも、辞書的な定義はこういうことになっているらしい。では、音楽的な「独創性」「創意」とは一体なんだろうか。

 これは特に「作曲家(=ボカロP)にとっては」重要な問題だ。なぜなら、演奏を視野に入れない段階では、自身の作品が「独創性」や「創意」に満ちているか否かを判断するのは非常に困難を極めるものだからだ。

 ボカロPに限らず、作曲家というものにカテゴライズされる表現者には『作曲』という過程が存在する。なにを今更当たり前のことをと言うかもしれないが、この『作曲』というのが実に厄介なのだ。つまり、『あなたの作品は”作曲段階において”オリジナリティがあるか』ということが、特に”演奏を視野に入れない”ことを前提としたときに、我々に問われているからなのだ。


 作曲段階のオリジナリティとはなんだろうか。『こういうコード進行を考えた』『こういう変拍子を考えた』というのは、言葉の上では非常に簡単なことだ。しかし、考えたからと言ってそれがオリジナリティのあるものであるとすぐに断言することはできない。他の人を真似ることなく、誰も考えつかなかったことをするためには、当然、過去の音楽の文脈を全て遡り、把握し、それらを超えていく必要がある。これは、同人の世界で音楽をやる身であっても、どこか頭の隅っこにおいておかなければいけない、れっきとした事実であると思う。

 そして、ここで同時に思い起こされるのは、「新しい文脈の音楽が受け入れられるには時間を要する」というこれもまた歴史が示す事実に他ならない。クラシックの世界で例を出すなら、今やオーケストラのレパートリーとして定着している、ロシアの作曲家ストラヴィンスキーの代表作『春の祭典』は、1913年の初演時には、当時の大作曲家を激怒させ、聴衆を巻き込んでの騒動に発展したという記録がある。近年の作曲家だと、ドイツの巨匠ラッヘンマンは、とある講習会で「自分の曲の演奏会をボイコットされたことや罵声を浴びせられたこともある」と語っていた。春の祭典は今でも研究の対象になる程度にはオリジナリティ溢れる作品であるし、ラッヘンマンの音楽は現代音楽の世界において絶大な影響力を誇る「オリジナリティ」溢れる作品である。しかし、それらの作品が受け入れられるには相応の時間を要するのである。


 しかしながら、世の中には、「オリジナリティ溢れる」という文言で紹介され、世の中に広く認められる作品も多数ある。なぜだろうか。一概にそれらのものを『時間が経過していないからオリジナリティがない』と切り捨てることはできないが、この文を読んだ皆様は一度、そのことについて思いを巡らせて欲しいと思う。そして、ここまで考えてようやく、僕の考察は『では僕ら自身のオリジナリティとは何か』について考えを至せることができるだろう。

 オリジナリティを考えるときに、一つの手段として「オリジナリティの閾値を下げる」という手段がある。これは世の中の非常に多くのクリエイターが取っている手段であり、恐らくもっとも、特に同人作家で多くの人に共感してもらいたい、人のために作品をかきたいと思っている人に有効な手段だ。また、「オリジナリティの判断の基準を別に作ってしまう」というのも手だ。例えば、器楽的(=非言語的で音楽言語的な)な音楽要素ではなく、歌詞や、言語による世界観、エンターテイメント性などと言われるものによる判断の基準を作ってしまえばいい。あるいは、演奏(ボカロ調教などがこれに含まれる)の分野で差をつけてもいいだろう。こうすることで、仮に『音楽的な思考でもって』オリジナルと言えない作品群であっても、それにオリジナリティを付加することが可能だろう。これは戦略の一つであり、それ自体は誰にも責められることではない。(ただし、同時にゾーニングの問題には留意しなければならないだろう)

 そして、これは非常に険しい道だが、同人作家として自分自身のオリジナリティを徹底的に追求するという道も存在する。非常にアーティスティックな険しい道ではあるが、それはそれで面白みもある道であると思う。

…あなた自身は一体どこににオリジナリティを持っていただろうか。どちらが良い悪いという話ではなく、自分のオリジナリティについてもう一度考え直すきっかけにしていただければ幸いだ。

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